千人柄
あんたらの自負
● 4人の独白を聞いた上野穂乃果の声
…あんただけじゃないよ。
● 和内冬香の願い
新宿駅の埼京線ホームに立っている。クリスマスイブの空気は冷たい。乾いていて肌を突き刺す。電車の風が吹き抜けるたび髪が頬に張りつく。
今目の前を通り過ぎていく人たち、ざっと五百人くらい?みんなどこかに行く理由を持ってる顔してる。私だけが取り残されたみたいに立ってる。
明日、三十歳になる。
職場の先輩は去年マイホーム買った。大学時代の友達は結婚して子ども二人。
グループLINEでたまに回ってくる写真みんな笑ってる。
私は「かわいい!」ってスタンプだけ押して既読つけて終わり。
本当は何が「かわいい」のかも分かってない。
みんなでお祝いしてるあの笑顔の輪に自分が入ってる未来が想像できない。
仕事はイベントオーガナイザーのアシスタント。
人が輝く瞬間を毎日すぐ近くで見てる。
ステージのライトが当たるたび歓声が上がる。
その光の端っこで、私はスケジュール表を確認してスタッフに指示を出す。全部順調に進んでるとき達成感はある。
でも、それも一瞬。誰も「あなたがいたから」なんて言わない。「裏方だから当然」って分かってるけど。
あのスポットライト一度でいいから浴びてみたい。
誰かの視線の先に自分の名前と顔があるってどんな気分なんだろう。
たまにアプリで誰かと会う。最初は会話も弾むし笑ってご飯も食べる。
でも、帰り際のバイバイでだいたい察する。
「次はないな」って。
私も相手もなんとなく分かってる。
たぶん私が「何者でもない」からだ。
何にもアイデンティティが無いからだ。
流行りの服を着て、個性の無いメイクをして、波風立たない無難な話をして、相手を不快にさせないように笑って。でもそれって、誰でもできることだよね。
“私じゃなきゃダメな理由”なんてどこにもない。
ホームの反対側でカップルが大きな身振り手振りではしゃぎつつ大口開けて笑ってる。彼女さんはお腹抱えて笑ってる。「どーしてそんな勘違いできるん〜笑」その笑い声がやけに鮮やかに響く。
ボウッて風が吹き始めた、電車が目の前のレールに入ってきた、ティンティン言いながらドアが開いた。何言ってるか分からないアナウンスが上から聞こえる。
全部が混ざって頭の中でぼやける。
この世界に人間って何人いるんだろう
新宿駅の今この視界に五百人、一昨日あったイベントでは四千人、東京23区で一千万人
この世界に私みたいな人、何人いるんだろう。
何千、何万?
この世界に私、何人いるんだろう。
誰かの特別になれる確率って宝くじより低いかもしれない。
これだけの人がいる中で「私を私たらしめるアイデンティティ」は何?
誰かが私を見つけて顔がぱっと笑顔になる瞬間。そんなの夢みたいだ。
誰も私を探していない私の代わりはいくらでもいる私がいなくなっても誰も気づかない
面倒な人と同じ誕生日になったもんだな。あの人は世界中の人から「唯一」って思われてる。みんなから誕生日お祝いされてる。
お願いだから誰か私の誕生日もお祝いしてくれ。
プレゼントも食事ももちろんメッセージも、誰からも無い。
私のこんな悩みなんて持ったことないんでしょうね。
こんな規模じゃなくても良いけど羨ましいですよ。
次の電車が滑り込んできてドアが開く。
人の流れが私の体を押していく。
乗るか、やめるか。
どっちでもいい。
三十歳になっても私はたぶんここにいる。
まだ「誰かの特別」になれないまま。
私はここにいるよ。新宿駅の埼京線ホームに立ってるよ。ここにいるよ。見つけてよ。探してよ。
● 内藤俊亮の自慢
なんかさ正直、俺以外みんな負け組に見えるんだよな。
笑えるくらいに。
借金抱えてるやつ、地味な裏方仕事してるやつ、夫と離婚調停中の女、六本木のクラブも知らねぇ田舎者、そもそも東京のタワマンにすら住んでない奴。は〜い負け組〜。お疲れさーん。残りの人生せいぜい「庶民」らしく謳歌してくれや。
俺?俺は違うよ笑
生まれた瞬間から勝ち組だよ笑
親父は地元で知らねぇやついない建設会社の社長。市庁舎、福祉施設、公園、道路、全部うちが作った。
「この道路誰が作ったと思う?」って聞かれたら即答だよ。「うちの親父」笑
地元のやつら俺の家の恩恵受けてないやつなんていないと思うね。
子どもの頃から金で苦労したことなんて一度もねぇ。
欲しいもんは指差すだけで届く
実家は3階建ての戸建て、庭付き、プール付き。庭師のじいさんが芝刈ってて俺は横で水鉄砲撃って遊んでた。
「庭師なんて雇ったことない」? 何言ってんのじゃあそれ誰が庭手入れすんの?笑
毎年の夏は海外旅行。アメリカ、イタリア、スイス、どこでも行った。
あのスイスのホテルから見たアルプスの景色いまだに覚えてる。遠くに見えるはアルプスで眼下を歩くのは富裕層。やっぱりさ金持ちは金持ちの中で育つんだよ。そういうもん。
要するに俺は「実家が超太い」ってやつ。
スタートラインが違う。勝ち組ってのは走る前から決まってんだよ。
中高は陸上部。
400m、400mハードルでインターハイ出場。トロフィーなんて棚に入りきらねぇ。
スポーツできるのは当たり前だし勉強もそこそこ。
アニメとかアイドルとか追っかけてる芋臭いやつらとは住む世界が違った。
あいつら陰キャだの陽キャだのカテゴリ分けしてマウントとってるけどさ、俺からしたら全部“その他大勢”笑
大学は慶應経済。
「慶應」って言葉だけで人が勝手に下手に出るのが面白くてさ。
サークルじゃ毎晩のように飲んで女が勝手に寄ってくる。
ミスコンの子も、今テレビ出てるアナウンサーも、官僚の奥さんも、全員俺の竿姉妹笑
あいつら俺を落とせると思ってたんだろうけど誰一人できなかったな。あの顔見たときの悔しそうな表情、最高だったわ。残念だったね〜笑
社会人になってからも順調そのもの。
勤め先は伊藤忠商事。そう総合商社のイト〜チュー。誰もが憧れる会社だよな。
年収は1000万超え。
仕事終わりは六本木のクラブでシャンパン開けて両脇に女。
通勤車はマセラティV5。帰る家は勝どきのザ・タワーの58階。
窓から見下ろす東京の夜景見ながら思うわけ「俺、人生完全に制したな」って。
だってそうだろ?
実家は超太い、スポーツ万能、学歴ある、モテる、金もある。
何もかも揃ってる。
俺以上に輝いてるやつ、いる?
いねぇだろ。
俺こそが真の勝ち組。笑
● 猿楽瑠美子の気付き
生まれてからこの方ずっとひとりで生きてきたと思ってる。自分ひとりの力で生きてきた。ひとりが好きなんで。
誰にも頼らず自分の足で立って自分の飯を食って自分の布団で寝て。
気がついたらもう44歳。事務職、独身、猫一匹。まあよくある話。
朝は6時半に起きて冷蔵庫の中の残り物をタッパーに詰め込む。あと豆乳飲む。通勤電車はだいたい同じ顔ぶれでみんな無言。誰も目を合わせない。私も合わせない。
職場に着いたらメール整理して伝票打ち込んで会議資料を印刷して。毎日同じルーティン。
「おつかれさまです」って言葉ももはや呼吸と同じで意味なんかない。
昼休み同僚たちがゾロゾロと財布小脇にスープストックトーキョー向かう横で、私はタッパーのサラダチキンをつつく。あの輪の中に入りたいとか、思わない。…いやたまには思うかもしれないけど入り方がもうわからない。入れないんじゃなく入りたくないんですって演出する、こっちからお断りです。って。私はひとりで生きられるからひとりが好きだから。って。
帰り道スーパーのレジで「ポイントカードお持ちですか?」って聞かれるたびに「あ、持ってます」って慌てて探す。レジ袋の音がやけに大きくて、なんか、あぁ今日も誰とも喋らなかったなって気づく。買ったのは刺身とスパムと缶チューハイ2本。あとミルのおやつ。お酒とちょっとの栄養があれば生きていける。
帰りながらふと…。焦燥感?でも別に寂しくなんかない。……そう言い聞かせてるだけかもしれないけど。
家に帰ると猫の「ミル」が出迎えてくれる。あんたはいいね気ままで。ご飯出してブラシかけて、撫でようとすると逃げる。でもその逃げ方がちょっと嬉しい。私を認識してる。
テレビをつけると芸能人が「人とのつながりが大事」なんて言ってる。そんなこと言われてもなあ。私ひとりでここまで生きてきたんだよ?誰の力も借りずに。親にも、姉妹にも、友人なんてもってのほか。コロナ禍が最高だったなんて言えないね。
……なんて思ってたけど、ふと思い出した。
大学入学のとき親がボロボロのツナギで引っ越し手伝ってくれた。初めての一人暮らしで風邪ひいたとき隣の部屋の人がポカリくれた。職場でパソコン壊したとき後輩が黙って直してくれた。
あれ。
もしかして私、ずっとひとりじゃなかったのか。
誰かが差し出した小さな親切を「ありがとう」って言う前に受け取ってさも自分の力でやったみたいな顔してたのかもしれない。
その時、ありがとう、言った?
それに気づいたらなんか、胸の奥がチリチリした。
あのときちゃんと礼を言えばよかったなぁ。
そんなことを思いながら湯船に浸かる夜。
ミルが風呂の外で鳴いてる。
「入ってくる?」って声をかけたら、ドアの隙間からちょこんと覗いた。入ってはこない。ミルの背中越しに見える洗面台は真っ暗。
……あぁ、そうか。
私、独りで生きてきたんだ。
● 成瀬樹也の葛藤
まじで何がそんなに楽しいんだか。ステージの前で騒いでる連中全員バカだな。俺以外アホ。
スマホのライト振り回してキャーキャー言って。動物園でバナナ振り回してる猿たちと何が違うの。
「青春」って感じ。いや、青春なんだろうけどさ。見てるこっちは寒気しかしない。
俺はいつも通り文化棟裏の階段に座ってる。後夜祭の音が風に乗って聞こえてくる。
ドンドンうるせぇ。マイクのハウリングとかもう少しなんとかなんねぇの。近隣の家に迷惑だろ。
それでも、静かなよりマシかもしれないと思ってる自分がいるのがムカつく。
本来、後夜祭は自由参加だから俺なんて帰ってもいいんだけどなんでかまだここに座ってる。
だってなんか帰っちゃいけない雰囲気だと思ったんで。
昼間の文化祭も地獄だった。クラス企画の「焼きそば屋」。俺は裏方。というか勝手に「買い出し担当」ってことにされてほぼ放置。
誰も俺の名前なんか呼ばねぇし指示も出さねぇ。楽っちゃ楽だったけどあの「いないことにされてる」感じ、あれ萎えるんだよなぁ。
麺の買い足し行った俺がそのままバックれてたらどうしたんだよ。ざまあねぇな。…しなかったんだけど。
まあ別にいいが?どうせ俺なんかが入ったところで空気悪くするだけだし。
後夜祭の音が急に大きくなる。たぶん先生のギター。
ああいうのも寒い。大人が張り切るの見てらんねぇ。主役は俺ら学生だろ!お前らは引っ込んでろよ。
…でも、みんな笑ってんだよな。馬鹿みたいに、嬉しそうに。
なんであんな風に笑えんだろ。恥ずかしくないのか。
俺の足元にペットボトルが転がってきた。飲みかけのコーラ。
拾ってみたけど、なんかぬるい。
その瞬間ちょっとだけ人恋しいって思った自分に腹が立った。
「コレ飲んだら間接キスじゃん」
ニヤつく顔を隠すように頭を振ってフードを深く被る。これ被ると少し安心する。
誰にも見られない感じがする。…俺だけの世界になった気がする。
グラウンドのほうで花火が上がった。
拍手と歓声。女子の声が響く。
俺はその音を聞きながらなぜか中学のときのことを思い出した。
一回だけ、友達っぽいやつがいたんだよな。
放課後ゲーセン行って、くだらねぇ話してアイス食って。
でもそいつが別のグループに混ざりだしたとき、「裏切りだ」とか思っちゃって無視した。
今思えばあれ、単にビビってただけかもしれない。
「ひとりになるのが怖い」って言えないから先に「お前が嫌い」って言ってた。
花火の音が遠くで弾ける。夜空がオレンジに染まる。
なんか、世界がちゃんと動いてて俺だけ置いてかれてるみたいな気分。
別に?行きたくもないし?混ざりたいわけでもない。
…はずなんだけどな。
あいつら明日も「昨日の後夜祭ヤバかったよなー」とか言うんだろうな。
その輪に入れない俺が、遠巻きに、勝手に、微妙な笑顔で、小馬鹿にする未来が見える。
うっざ。ほんとくだらねぇ。って。
それでも、帰る気にはなれない。
花火の音が終わるまで、階段の上で、膝抱えて座ってる。
「ごちゃごちゃ騒ぎやがって」って小声で呟きながら。
誰も聞いてない誰にも届かない。でもなんか、そう言わないと、自分が消えそうな気がした。
